山あり人あり人生あり

日々の出来事、登山についてのBlogです。

山を続ける理由(No.2 自分の存在を感じさせてくれるもの)

<フリークライミング>

 フリークライミングに傾倒するようになり、これまで漠然と登山を続けてきた意識が変わった。上達したい気持ちが強くなり、海外のクライミング技術書を読みあさった。日本ではまだそれほどフリークライミング技術が詳しく解説された書籍は無かった。クライミングの上手い人から教えてもらうのが早いことは分かっていたが、自分の性格から、結局独学といった感じで超スローペースでクライミングが上手くなっていったと思っている。人一倍、上手くなるのに時間がかかったという、自慢にもならない話だ。
 クライミングが面白いのは、その爽快さもあるが努力したことがはっきり反映され結果が出ること。生まれてこの方、ひとつのことにここまで集中して努力してきたことが無かったように思う。努力と結果の結びつきに喜びを感じ、自分という存在をあらためて認識するようになった。こんな期間が20代後半から40歳頃まで続いた。

 散々通った甲府幕岩のルートはすべて登りつくし(ルートでないクラックまでも)、ずっと気になっていたラインを自ら設定初登したあたりで、フリークライミングでの自分なりの高難度を目指す志向が変わっていった。15年ほどの間のクライミング集中期間は楽しかったが、それ以外のことはやってこなかった訳で、東京から山梨へ移住したと同時期に、もう一度自分の目指す方向性を考えてみるようになった。

 

<過渡期>

 自分の登山思考はどちらかと言えばマイナーな山を志向していて、高校時代の西上州通いがそれを象徴している。北アルプスなどの山が嫌いなわけではないのだが、人ごみの中に出かけていくことが煩わしい。行ってみたいところは多いが、何をするにつけて、人に気づかいをしなければならないので。

 子供のころに抱いていた運動に関する劣等感は根底にあるのだと思う。人と同じことをやってもたいした結果にはならず自己満足は得られない気がする。ならば人と違う方向性で進んでみよう。登山思考も都合が良い。そんな頃、左ひざの半月板の具合が悪くなり、手術。体力も落ち、クライミングも遠ざかって下手になる。もう一度、この先を考える。

 そんな頃、高校山岳部以来の友人が富士登山競走を毎年出場し頑張っていた。自分ももうすぐ終わってしまう40代に何らか満足できる結果を求めたいと思うようになった。競技ごとが嫌いな私なので、トレイルランなどの競技に出場する気はない。運動不足、加齢から落ちた基礎体力を作り直して、山歩きを出直してみることにした。